先日、
牛丼チェーンの松屋のテーブルでこのようなチラシを見ました。
タイパです。
「タイパ重視の現代人」について考えさせられることがあります。
タイムパフォーマンス、すなわち効率重視の考え方自体が悪いわけではありません。
むしろ、現代社会において効率的に動くことは必要です。
しかし、その一方で無意識の選択時に「タイパ」を感じてしまうにまでに脳の底までタイパの病に陥ることは、長期的な成長を妨げ、逆に自身の未来を狭める原因になりかねません。
この本質的な問題は、タイパに染まった脳になっていることで、すぐに結果が出るものだけを求め、遠回りするプロセスや試行錯誤を避けようとする姿勢です。
遠回りに見える道こそが、本当の力を養い、将来大きな成果を得るための基盤となることが少なからず存在し、そしてそれは”多い”のです。
つまり、「効率が悪い」と思われがちなプロセスにも、学びや成長の機会が隠されているのです。
短期的な成功だけを追い求めていては、最終的に”どのような未来においても切り抜ける自信といかなる環境でも幸福を掴み取れる予感”は得られないでしょう。
むしろ触れたことのない長期的で不確かな未来かな怯えることとなります。
日々の生活の中で、
目に入る物理的な情報は同じでも
それを経験へと還元する能力は違います。
「同じ情報を同じスタートラインではじめたのに、、なんで彼はできて私はできないのか」
それは、
現実を解釈し、経験へと還元する力、
そしてその力を応用する力
この両者は密接な関係がありますが、
この摂動する力に差があるからです。
現実を経験へと還元する力は
さまざまな環境であっても、じっくりとやり込み、その環境で客観的に認められる成果をだしてから、その組織の環境以外でも恒久的に認められる成果をだし、その上でその成果が出せなかった頃の自分を振り返り、新しくその環境にジョインする人が自分と同じ非効率や間違いを犯さないように立ち回り仕組みを作って行く中で身につくものです。
その辺に見える鳥居ひとつとっても、
「過去にそこがリアス式に入り組んだ岬であり、そこに死者を埋め、その後埋め立てられ湿地となり、過去の先人を祀るように建てられた鳥居の傾向だと、過去にどのような土地柄であったのかを推察する人」もいれば、「”あ、鳥居だ。お供物は餅か。”で終わる人」もいます。
知識とそれを応用して何かの成果物を出し切ってハンドリングして自分のものにした人と、楽な道を歩み反復を怠った人間の、無限回の取り組みの先の力の差は圧倒的です。
これは人格のレベルにまで染み込んでいます。
この力がある人間から展開される行動はしばしば一言で
“頭の良さ”や”行動力”と表されています。
その裏にはこのように深く時間のかかる研磨があるのです。
「タイパ重視」というのは、即座に目に見える結果を求め、深く物事に取り組むことを避ける傾向が強いですが、成功というものはそのような近道の先にあるわけではありません。
試行錯誤や失敗を通じて得られる経験や知識こそが、後々の振り返りの充実や事例の豊富さにつながり、その積み重ねが大きな結果に繋がるのです。
実際に努力と時間を積み重ね、粘り強く取り組んできた人々が、最終的には「成功者」と呼ばれることが多いのです。
中にはたしかに
棚ぼたのように成功するひともいます。
ただそれは社会的なバグであり、
再現性がない宝くじのようなものです。
言うなら”当たりすら不確かな宝くじ”のようなものです。
それに永遠にbetするのは
単純に愚かで、お勧めしません。
「タイパ」にとらわれすぎることは、自らの成長を阻害し、最終的には自分の可能性を狭めてしまう恐れがあります。
遠回りこそが成功への最短距離であることも、しばしば忘れられがちです。
では、
成長できる環境はどこあるのかと。
教えてくれという声が聞こえてきます
答えは、ここバンコクあります。
梶村の隣に来てください。
留学しに来てください。
そういうことです。